新しいバックパックで初登山2018/08/12

昨日の夜の天気予報では、今日は晴れ。
13日からかは子どもたちの塾、部活も休みなので、
その前にまとまった時間を取るのは今日しかないということで
夜のうちに詰めれる荷物を新しいバックパックに詰めて準備完了。

が、朝起きてジャスの散歩の時の空は、確実に黒い上に泉ヶ岳に丸かぶり。
ここのところのスマホの天気予報アプリは、異常気象気味ということもあってか、
外れることが多くて、実質は天気結果報告アプリに。
ということで、ちょっと様子を見てゆっくり出発することに決定。

そして8時。
山方面の黒い雲はいまだに黒っぽく、山に被ったまま。
でも、平野の方は青空の時間も増えて来たので、あとは俺が「持ってる」ことに期待。
それだけで山へ向かう。

そりゃそうだ、雲で隠れてる山に来たんだから何も見えない。
でも、絶対に晴れるはずということで、いつもの水神コース。
実は、もはや水神を登る自信しかないという、ここのところの鍛え具合の為。
登った途端に大自然の画が目に飛び込んでくる。

ちょっとだけ欲というか変な自信が浮かんできたけど、
いやいやここは謙虚にということでやはり水神へ。

水神で結構好きな箇所。
ここから左ドッグレッグな感じで左に曲がるコースの直前の上り坂。
まだまだ登り始めではあるものの、なんとなく空が青い時間も長くなってきた。

この前までの工事のついでなのか、前よりも標識が新しくなったような気が。

水神の手前で、木々の上には完全な青空。
こりゃ俺完全に持ってるわ。

さて、今のところ登山は1人派。
その理由は、特に話すこともなく、話すことを探すこともない中で
 ・自然の中で生かされていることを確認する為 
 ・自分を見つめ直すことに時間を使う為
が大きい。

チビ達が小さいころ、キャンプを初めて、最初は単純に楽しかった。
でもそのうち、天候、災害、怪我等が伴い始める。
特に天候、災害はもはやどうしようもないが、どうにか対処しないといけない。
楽しいだけじゃない環境で、どうにか楽しくするには最善の選択が必要。
自然を無視して勝手に生きている訳じゃない。
雨の日は雨をしのぐ方法を、災害の時は復旧のことを考えて生きてきた。
決して人間の知恵だけで生きてきている訳じゃないということを思い出すことが必要。

それと同じで、今の自分は一体どうなのか、ということを自問自答するという
時間を取れる。
石や根っこの間を踏みしめる時に、何故このコース?こっちじゃだめだったのか?
お父さんがママと子供二人の写真を撮っている横を抜かす時、撮りましょうかと
声をかけてあげた方が良いんじゃないっか?
頂上まであとどのくらいかを気にしている人たちに、「あとXX分、頑張って!」
と声を掛けて揚げたほうが良いんじゃないか?
外界での自分は逃げてないか・・・・?
非日常という状況を借りて、自分を見つめ直すと案外本心が見えてきたりする。
今回も良い非日常の1人の時間を過ごせた。

とは言え、ずっと1人だとふと気がついた時に寂しく鳴るもんで、
遠くにでも人の姿が見えるとかなり安心する。

そんなこんなを考えながら到着した水神。
ついぞ我が家では実現できなかった家族登山。
きっと家族で登っているという事実が力となり、一つの成功体験になると思う。
淡いながらも記憶に残っていて欲しい景色でもある。

そして賽の河原付近で、やはり俺は持ってると確信。
でも持ってるレベルは5点中4くらいか。
海はもちろん、街なかまでも見えることはなかったももの、
泉ヶ岳の麓、周りの山々が太陽というよりも青空に照らされた感じの景色が現れた。

そして、山頂に到着。
途中、お父さんがママと子供二人の写真を撮っている横を抜かす時、
撮りましょうかと声をかけた家族が、他の登山者に4人で写真を撮ってもらってる。
泉ヶ岳登山の良い思い出の記録が残ればと思った。

空を見上げると、これでもかというような青が目に飛び込んで来る。
こんな小さな青空でも、なんとなく深くまで響いてくる。

今回は、出発も遅かったので、ゆっくりと登って、ゆっくりと降りようと、
山頂付近でゆっくりと昼飯。
いつものカップラーメンではなく、クッカーにお湯を沸かして
インスタントラーメンを作り、クッカーからそのまま食べる。
調理という調理ではないけど、お湯を注ぐだけからは明らかにレベルアップ。
しかもなんとなく旨い。
次はフライパンでトッピンだ。

そして下山。
今回はそのまま水神コースを下山。
地面をしっかりと踏みしめて、自分の体重が前のめりにならないように、
急いで危険を伴わないようにゆっくり、じっくり。

下山後は、登山靴からビーサンに履き替えながら、再度お湯を沸かして
無事を祝ってのお紅茶。
靴を脱いだ開放感と、お湯が湧くのを待つという一見すると無駄な時間が
とても優雅な時間に感じられる。

お湯が湧くのを待てない、紅茶が出来上がるまで待てないような日々は
とても悲しい時間に感じてくる。
なんでもない時間が実は大切な時間。

新バックパックにも早く俺の哲学癖に慣れてもらわねば。

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