諸行無常22020/10/23

先週の葬儀後は仕事に忙殺されて、ブログに何を書いたかも思いだすこともなく。
葬儀で二度ほど涙がこぼれたことがあったので。

土曜の通夜に行くまで心配だったのが父のショックがどれだけかという点。
以前姉を亡くした時は、火葬場の隅で1人ハンカチで目を押えている姿を覚えてる。
その姉は父にとっては母親代わりと言ってもいい存在だったので、気持ちは察せた。
今回は長兄で、父親代りと言ってもいい存在との別れ。
憔悴していないだろうかと。

見た目で判るものではないだろうけど、通夜で姿を見つけてその心配が和らいだ。
どういっていいか微妙だけど、心配していたほどではなかったというあたりか。

そうなると、次はやはり伯父との思い出が蘇ってくる。
前回書いたように、言葉とは裏腹にいつも周りを気にかけてくれていた。
それと、奥さんとの名コンビぶりも良い感じだった。
伯父が「**子!ほれ**子!**しないと駄目だろ!さっさとやれ!」と
大きな声で怒鳴る。
伯母は「はいはい。」と良い感じでいなす。
伯父が遠ざかってから「ほんなこと言ったってねぇ。自分でやれば良いのにねぇ。」
とニコニコして「どれ、言われたからやりますか」とどなり声が流れた空間が
ほっこりする空間に変わる、なんか良い感じのコンビだった。

日曜の葬儀に少し早く着いたので、祭壇全体を見渡せる後ろの席のほうで佇んでた。
そこへ伯母が入ってきて、1人棺に近づくのが見えた。
棺の中から見える顔に向かって話しかけ始めた。
「おはようさん。」から始まったことは聞き取れたけど、その後は聞き取れず。
でも1分ほどだったと思うけどずっと話しかけてた。
完全に涙がこぼれた。

ちなみに、コロナ禍だと火葬の段取りも変わってた。
これまでは、火葬後の収骨は、収骨室に集まって、遺骨の状態の説明や
みんなで収骨をして骨壺に収めるところまでをみんなで見届けていたのが、
収骨室に入れる人数を制限するため、一定人数で入り、収骨が終わった人から
別の出口から退室するという動き。
遺骨の全容を見れるのは一番最初に入った遺族だけということになる。
それでも、葬儀さえできない時期からするとまだ全然幸せということだろう。

その次の涙は火葬後の告別式。
弔辞の最後に、同級生からのお別れのことば。
堅苦しい内容ではなく「***君、***だよ」という感じで語り掛ける。
「あなたは確かにすごかったし、いつもの調子で昔はいろいろ嫌味を言われたけど、
 一つはっきりさせたいことがある。
 俺ももうすぐ行くだろから、できれば三途の川あたりで待っててもらって、
 一緒に閻魔様の前で決着をつけよう。」
的な内容。
同級生なので92歳、足取りもゆっくりなご老人が昔の思い出もさることながら、
また会おうという話をしていることに、敏感に涙腺が反応。

人が亡くなるということは、確かに悲しい。
でも、大事なのは残された人たちが何を感じるかということなのだと思う。
故人がしてきたことに思いを馳せ、楽しかったこと、嬉しかったこと、
有り難かったことを思い出し、自分の今後の人生をどう生きるかを考えさせられる。
そうやって人は変わって行くもの。
死は悲しいだけではなく、死生観を教えてくれる出来事。
生きるも死ぬも、結局は諸行無常ということだ。