ドブネズミの詩2021/09/19

早朝は半袖だと少し寒くなってきた。
露に濡れる蜘蛛の巣もなんとなく冷たそうな感じる。

かとい言って陽のあたる場所は昼に向けてまだまだ暑くなりそうな気配も感じさせる。
そんな青空の下で咲いている花は秋桜という、確実に次の季節に移る準備が始まる。

庭のぶどうも実りの秋を迎えて、一粒食べてみたら、いい感じの甘さ。
それに釣られて最近はスズメバチも食べに来ることもあるので、ちょっと危険。

前日に流星の絆を読み終えて、購入していた東野圭吾はすべて読了。
で、こんなものを持ち出してきた。
「ドブネズミの詩」

「ドブネズミみたいに美しくなりたい」
高校時代に衝撃を受けた歌詞、歌い方、変な動き・・・。
他の歌もとにかく表現の仕方が独特だけど、とにかく「まっすぐ」という印象だった。
その印象はザ・ハイロウズ、ザ・クロマニヨンズになっても変わらなかったかな。
と言ってもその2つのバンドの曲で歌えるものはないけど。

「ドブネズミみたいに美しくなりたい」という歌詞の意味だって、
気付いたのは結婚してからだと思う。
それまでは単に衝撃的な歌詞とノリだけで、たまにカラオケで歌ってたくらいで、
歌詞の意味なんて気にもしたことなかったけど、生きとし生けるものの本質は
見てくれなんかじゃなく、どんな格好でさえ生きることにまっすぐでいること。
それに気付いたときは、目からうろこだった。
「写真には映らない美しさがあるから」
そりゃそうだ。

そしてこの前、インスタにふと出てきた言葉。
「幸せを手に入れるんじゃない。幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ。」
この言葉は記憶には残っていなかったけど、「ドブネズミの詩」に書いてある言葉。
深層心理には残っていたのかもしれないけど、これは子供が生まれてからは
実践できている気がする。
新しい家具を買っても、美味いものを食べて、行きたかった場所に行っても、
それ自体を楽しめるかどうかはそれらを楽しいと、幸せと感じる心があるかだ。
古くても、ちょっとクセがあっても、思っていたのと違ってても、
「何だよ!」と文句を言うんじゃなく、「いい経験ができて良かったじゃん」と。
無駄なものは何一つない!・・・とまで言えるほど悟ってはいないか。

ただし、そういう風に考えられるようになってからは
笑っていられることが増えた気がする。
空が青く、秋桜がきれいに咲いている。
庭のぶどうが実をつけた。
夜露に濡れたきれいな蜘蛛の巣を見つけた。

何を幸せと感じることができるか、いろんなハードルを下げてしまえば、
それをヒョイと乗り越えて、受け入れて、次に、前に進める。
結果、それがドブネズミのように見えても、幸せを感じて生きれれば良いんです。