今を生きる2022/07/03

過去を悔いることの愚かさというか、無駄なことには気づく年齢にはなったつもり。
悔いるなら反省しろということ。
悔いないなら笑い飛ばしてしまうくらいの度量は持てたと思う。
その程度の気持ちの切り替えはできる程度の年齢になった。

良くも悪くも時間は止まらない。
いや、この歳になると時間が止まってしまうことのほうが怖い。
時の流れに身を任せることは確実に必要。というか、任せるしかないし任せるべき。
もっと言うと、壮大すぎてどうやっても抗えない時の流れの中で単に泳がされている。
つまり「どう泳ぐか」ということが大事なのだと思う。

過去を悔いることと同じように、将来を悲観、期待しすぎることも無駄ということも。
時間が流れるということは、思った通りに行かないことがほとんど。
なにせ、いろんな人の時間が一緒に流れているので、一人のちょっとした行動が、
世の中にどう影響するのかなんて想像もつかない。

なればいいなーって感じで思うというのが現実的なんだよなーと思ってしまう。
でも、それは実際としてはやりたくない。
というか、そう思ってしまったらそこで思考が止まるということも知っている。
「期待」とか「希望」を捨ててしまったらそこまででしかない。
それをどう持てばいいのかは残念ながら教える自信はない。
「期待」とか「希望」を捨てる方法を知らない。。。。
なぜなら、「期待」とか「希望」を持てない感情が判らない。
弱音を吐いたことは幾度となくあるけど、無くしたことはないはず。
幸いにもそこまで落ちたことがないからかもしれない。
けど、生と死、喜怒哀楽は一通り、それなりに経験はしてきたけど、
結果として現時点で笑いながら生きてる。
「頑張って生きていればなんとかなる。」

これまでの結果としては、決して悪くない人生だ。
嫌だったことも、もはや思い出話として笑い飛ばせる。
そういう意味では、むしろ幸せでしかない。

今日は朝4時に目が覚めた。
昨日早く寝たのでその分早く起きるのは想定通りだけど、4時までは想定外だった。
二度寝を試みたけど、ウトウトしただけのような感じで眠れたとまでは行かないが、
6時過ぎには外の気温が上がっていることが判ったので急ぎジャスの散歩へ。
そのままの勢いでつなぎに着替えて庭の手入れと網戸をホースで大胆に洗浄。
朝早くともつなぎもびしょびしょで洗濯機を回しながら自分も朝風呂へ。
つなぎはいい感じでお日様に照らされる。

風呂上がりに朝食を食べてからは珈琲を飲みながら朝の清々しさの中ブログと読書。

そして昨日採った青梅を使って「青梅の塩昆布漬け」。
3日後には食べられるようなので、どんな感じに仕上がるのか楽しみに。

夕方までは仕事しながら、ウトウト昼寝しながら。。。
ジャスの散歩が終わってそのまま明るいうちに風呂に入って、
そのまま明るいうちに麦酒タイム。

今をしっかりと、少しでも楽しく生きるということは大事。
昨日までは知ったこっちゃない。
明日以降?
そんなの明日にならないと判らないし、もっと言うと明日でも判らない。
明日でも、明後日でも、一週間後でも、一ヶ月後でもなく、今なんだね。
そんなことはとっくに気がついてたはずだけど、あらためてそう思います。
時の流れに身を任せて、いつも通り時の先に向かって行かないと。

いつの間にか家族全員が選挙権を持つに至った。
自分の将来もだけど、国の将来も考えないといけない歳に全員なった。
普通に生きてきたらこうなってたって感じしかない。
そう思うとすごいと思う、時間って。あの赤ん坊が選挙権って。。。

いずれ時が過ぎれば何にせよ結果は出る。
良くも悪くも。
でも、今は良い結果になるという「期待」と「希望」しかない。
繰り返すが、「期待」とか「希望」を持てない感情が判らない。

それと、今まで最悪の結果になった記憶は無い。
悪い結果になったことは数知れずあるけど、それは決して最悪ではなかった。
俺は絶対に周りを幸せにできる力を持っている。
根拠は無いし、まったく説明もできない。
でも、自分にはそんな力があるという「確信」しかない。
・・・みんなそう思ってるんだろうけど。

爆笑は与えられなくても、「いつものように今を生きれるという期待と希望を
周りに与えられる」という、ある意味特殊な特技を持って生まれたような気がする。
しかも、他の人よりも強く。

繰り返すけど、なんの根拠もないし言われたこともない。
単に、自分がそういう特技を持っていてほしいという「期待」と「希望」でしかない。
が、俺の中ではもはや「確信」でしかない。
明日も我が家のいつも通りの月曜を過ごします。