祝 中学卒業2018/03/10

かずの中学卒業から早2年。
2016/3/12のブログでは、
「小学校の卒業式では、涙腺が壊れたけど、さすがに中学校だと、
 本人達もあっさりしてるだろうから、涙腺は平常運転と思ってた。
 が、式が始まる前からもう崩壊の危機。」
と綴っていたが、今回は
「中学の卒業式も2回目だし、涙腺への刺激もそれほどではないか。」
と思っていたものの、結果はまったく同じ。

式が始まる前から、受付で貰った封筒に納められていた本人から両親にあてた
手紙を読んで、まだ式開始の20分前で来賓も入場していない時間、
まだ父兄席も私語で溢れているなかで、既に涙が溢れそうになる始末。

休眠状態になっていた部活を、入学と同時に同級生と再活動させ
右も左も判らないまま突き進んできた勇気と度胸を見せてくれた3年間。

友達とうまくいかずに悩んだり、友達を助けるために奔走したり、
思春期特有のイライラ感を乗り越える姿を見て来た3年間。

我が子は毎日見ているので、その成長を感じるタイミングというのは
それほど多くはない。
というか、毎日見てるのでそれほど変わっていないように見える。

それが、幼稚園や小学校から見て来た周りの友達の背丈、顔つき、
雰囲気の変わり様が、それほどの月日が経ったんだと感じさせてくれた途端に、
さくのこれまでの月日も長かったこと、思い起こせばいろいろなことがあったという
記憶、思い出が蘇る。
それだけで涙が・・・。

式が終わり、校舎を出たところで友達や後輩と言葉を交わして、
涙を流している姿を見ると、微笑ましい気持ちの反面、
一緒に写真を撮ってくれるような雰囲気もなく、ちょっと寂しい気持ちも。

何はともあれ、卒業という節目を迎えて、親も子も次のステージへ進むという
タイミングでもある。
思い通りに行かないことも増えてくるというのは、自分が親に対して感じ、
親も自分に感じていたであろうことのはずで、つまりは誰もが通る道を
自分も子供たちも通っているということ。

悲しむべきではなく、喜ぶべきことなのだとは思うが・・・・。
なんかこう寂しいというか、なんというか。

が、そんな感情とは関係なく、日々成長、変化をしているという事実は
受け入れざるを得ないこと。
時の流れに身を任せるというのは、こういうことを言うのかもしれない。

春も近づきつつある天気の良い日。
日向ぼっこしながら春を感じて昼寝するのも、時の流れに身を任せた結果。
身を任せるとうのは案外簡単なことなのかも。

焦らず、悲観せず、その時その時に感じられる恵みに感謝しつつ過ごす。
そう言う生き方を出来るようにしたいし、そう出来るようにしてあげたい。
俺も歳をとった、そして子供たちは無事に成長した。
まずはその恵みに感謝。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
アルファベットの最初の文字(大文字)は?(例:A)

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://takahashi-wind.asablo.jp/blog/2018/03/10/8801231/tb