2020/07/26

根が貧乏性なのだろうか、何かをしていないと「もったいない」。
とにかく「ながら」をしがちだし、「ながら」をしないのは損と。
料理で言えば、茹で物をしてる間に、薬味や付け合せを作るとか。
風呂でカビキラーをして数分待つ間にトイレ掃除もするか。
仕事では、大量のコピーが終わるを待つ間に他のお客さんに電話するとか。
ヘッドセットで電話をしながら、手は別件の資料を作るのにキーボードを叩くとか。
とにかく、パラレルが正しいという流れで過ごしてる。

それが、おとといの釣りで久々に「待つ」時間の大切さを思い出した。
明らかに無駄な待ちは、それ自体がストレスとなるうえ、他にも迷惑がかかる。
でも、例えば自分にしか影響がないようなことであれば、
それは「余裕」という、とても魅力的な言葉でも表現できる。

今日も学校で勉強するさくを送った後、家の掃除をして、夫婦水入らずで
久々にそば屋「萬之助」へ。
コロナ過で、少しは空いてたりしないかなと思って行ったけど、
同じような考えの人たちも多く、結局はいつもの混雑で30分待ち。
ここは効率化を図るべく、近くのスーパーで夕食の買い物。

そして戻ってからしばらく待って名前を呼ばれる。
店内で注文してからが、また長い待ちの時間になる。。。
今日もあいにくの天気なので、特に予定もなく、ちょっと手を付けようとしていた
仕事ができなくなるけど必須じゃないので、特に急ぐ必要はない。

が、そろそろちょっと機嫌が悪くなりそうになった時、ふと「なぜ機嫌を損ねる?」
という疑問が湧いた。
美味しいそばが出来上がることを待つ余裕もないのか?と。

急いでいるかと言われると、それはない。
腹が減ってるかと言うと、多少はあるけど腹が鳴ってるわけでもない。
単に、「このくらいの時間で出てくるだろう」と言う推測よりかかってるだけの話。
せっかくの休日というのに気持ちの余裕がないのは、まだまだ平日、いや仕事を
引きずっているのと、元来の貧乏性のダブルの結果と思われる。

もう何分待ったのか判らないけど、注文した「冷たい肉そば」が届くと、
もうそれだけで、これまでの待ち時間の長さはリセットされた。

待つことができなければ、どっしりと構えることもできない。
風林火山の「山」も身に付けなければ。