回顧録 野球との出会い2015/08/23

仙台育英が準優勝で幕を閉じた夏の甲子園。
汗まみれになって頑張る姿を見て感動の毎日だったところへ、
昨日からの24時間テレビで違う感動の後押しを受けて、
なんか感傷的になった日曜。

朝、夕のジャスの散歩はいつもよりも長めに、ゆっくりと歩いたので、
野球との出会い等を含む、小中学校のころのことを思い出しながら
歩いてみた。

昭和45年に新潟に生を受け、というところは面倒なので飛ばして、
時はあっと言う間に小学生まで飛ばす。

本格的な野球との出会いは、小学校の野球チーム、
「南光台東小野球愛好会」。
そう、今年の甲子園の主役の一人にもなった仙台育英の主戦、
佐藤世那君が所属していたチーム。
なんと、なんのつながりもないけど、実は先輩後輩の間柄。

放課後に教室で友達と話していた時、グランドで愛好会が練習を
しているのを見て、「俺も入りたいんだよね。」と言ったところ、
「えっ!もう申込み終わったはずだよ。」との衝撃的な言葉。
「確か、XX君とかYY君とかも申し込んで、もう練習に行ったって
言っていたよ。」とか言われた記憶がある。
それを聞いて、相当なショックを受けたのも記憶している。
「あー、これで俺の野球人生は終わった。というか始まらなかった。」
って感じの絶望感だ。

そのころは、どうしようもなく内気で、人見知り、恥ずかしがり屋。
アピールはもちろん、人に何かをお願いすることもできない程のビビり。
というか、根本的なところは今でも変わってないが・・・。

そんな子は、申し込み期限が過ぎた状況にところに、今から申し込みたい
なんて言えるわけもない。だって、期限は過ぎたのだから。
「なぜ?聞いてみればいいじゃん?」と友達に言われたかもしれない。
でも、できないものはできない、なぜと言われてもそうなんだからしょうがない。
絶望の中家に帰って、申し込みが終わってたことを親に話して、
こうなったら野球は諦めるしかない的な、小学生なりに将来を悲観
したようなことを言って涙したように思う。
家でも「聞いてみればいいじゃん?」って言われたようにも思う。
でも、やっぱりできないものはできないのである。

愛好会に入ることはずっと前から楽しみにしてた。
小学生になってからは、公園でみんなで野球。
自転車の後ろ車輪の脇にバットを指して、プロ野球の帽子をかぶり、
かごにはグローブを入れた連中が公園に集結。
最後はなぜか喧嘩で終わるという、昭和の当たり前の風景のやつだ。

しかも、家の前の道路では、ソフトボール経験者の母親との
キャッチボールが日課になり、たまに陸上競技経験者の父親、
年に何回か出稼ぎから帰るじいちゃんともキャッチボールをしてた。

愛好会に入るという流れは、毎日グローブをはめている環境では、
当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、その内気さから、
うまくチームに溶け込めるか、仲良くやっていけるのか不安を抱きつつも
超内気な少年にとってはかなり珍しく、愛好会に入るという意思は固かった。

しかし、固かった意思も、「申し込み終了」という想定外の出来事に
戦意を喪失し、意思の固さを「後からでも申し込む」という行動に
移すという勇気には変えられず・・・・。

しかし、ここに幸運の女神が舞い降りる。(男だったけど。)
数日後のやはり放課後、友達に「入りたかったなー、愛好会。」と言う。
すると、たまたま教室に居た先生に、その友達が
「けんさん愛好会入りたいんだって。」と。
「なんでそんな余計なこと言うんだよ!」とそのお節介さに怒った記憶が。
それに対して、先生は「だったら、XX先生に言っといてあげるよ。」と。

今でいうと、アイドルにあこがれていることを知っている子の親や、
友達が勝手にオーディションに応募した的な状況?・・・でもないか。

結果、後日に先生から紙を渡されて、それに記入して提出。
なんのことはない、あっさりと愛好会入り。
自分の将来を悲観までしたのが、バカみたいだったということだけど、
その頃の超内気な少年にとっては、申し込み期限は絶対的に映ったはず。

世の中にはお節介な人も必要なのである。
しかし、舞い降りた幸運の女神(男だったけど)が誰だったかは忘れた・・・。
でも、確実にその当時お節介な奴のおかげで、
無事に望んでいた野球を始めることが出来た。
高校球児が「野球をやっていてよかった」というけど、
俺の中でも、野球を通していろんなことを学んだことは事実。
野球をやっていなかったら、良いか悪いかは別として、今の人格に
たどり着いていないとも思う。
つまり、人生が大きく変わった可能性が高い。

ちょっとしたきっかけが人生を変える。
幸運の女神(男だったけど)が先生に声をかけてくれなかったら、
やっぱりその後も野球はやっていなかったかもしれない。
そうなると、その後の中学、高校、大学、就職も大きく変わっていた。
かもしれない。
ということは、今と違った家庭を持っていたかもしれない。
つまり、目の前にいる奥さんや子供たちは目の前にいなかったかもしれない。
もはやそれは想像できない。

仮に、野球をやっていない、もう一つの時間が別に流れているとしても、
それがどうなっているのかに興味はない。
というか、今にたどり着けて本当に幸せに思う。

つまり、やっぱり野球をやっていてよかったということだ。
そうなると、お節介野郎という人生の恩人に感謝しないといけない。
でも、誰だったかは綺麗さっぱり忘れてる。
なんか非常に申し訳なく思えて来た。

というのが、ジャスの散歩中に考えたことの一部である。
また機会があったら、綴ってみようかと思う。
今日のところは、お腹空いたのでここまで。

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