ママがぎっくり腰2011/03/01

今日から3月。
早いもので、新年になってから2ヶ月が過ぎた。
あと10ヶ月で来年だ。

昨日からママがぎっくり腰。
早いもので、もう片手くらいの回数は繰り返してるかも。

実家からお母さんが来て、夕飯の支度とかしてくれて。
こんな時実家が近いと助かる。
自分の実家も近いから、チビたちを預けたり、来てもらったりと
両家は大忙し。

それにしても、最近は寒かったり、暑かったりで体調管理も大変。
そこへ来て徐々に花粉も飛んできたみたいで、何気にくしゃみが出てきた。

ママも花粉症だから、くしゃみの衝撃で再発しないか心配。
今回だって、ソファーから立とうとしてなったらしいので、
もうこうなったら何でもありだから・・・・。

早く暖ったかくなってほしい。

カンニング2011/03/02

大学受験がえらいことになってる。
受験問題漏洩。

って言うか要するに今時のカンニングってことになるのかな。

自分も学生の頃にはいろいろと策を練って、カンニングしようとしたけど、
結局成功したためしがない気がする。

例えば・・・・。
 ・カバーを外した消しゴムに極小文字で書き込み、カバーで隠す。
 ・トレーナーの中に長袖Tシャツを着て、Tシャツの袖部分にメモを張って、
  引っ張り出して見る。
 ・細長い紙にぎっしりとメモして、それを爪楊枝2本に巻きつけて、
  手の中でくるくると映画フィルムのようにまわして見る。

でも、結局は準備した問題が出なかったり、出ても既にメモした時点で
覚えてしまって、見るまでもなかったり・・・。
方法を考えたり、カンニングというあくどいことをするというスリルを楽しんでたのかも。

それにしてもaicezuki。
どうやって外に問題を流したのか、すごく気になる。
すごい方法を思いついたんだろうから、基本はIQは高いんだろうな。

もし見つかって社会的制裁を受けても、裏でいろんな方面から声がかかりそうって思うのは間違い?

悪知恵でも知恵には間違いないからな~。

でも、明らかに使う時を間違えてるな。
TPOは考えなきゃ。

自転車で公園2011/03/05

今日はママが仕事で車を使うというので、残された3人の交通手段が限られた。

でも、公園で遊びたいという希望が挙がり、つまりは自転車移動に決定。

パパの自転車は実家に置いたままだったので、急遽取りに行ったりして。

でも、サイクリングも良い物で、自転車の乗り方一つ見ても、性格が出るもんだね。
後ろから見ててドキッとしたよ。

玉切り完了2011/03/06

伐採した木の玉切りが完了。

ママとチビたちは庭で花壇作り。
自分は一人で山へ。

残っていた木を全て玉切り。
しかし、倒した直後は水分を含んで相当重かったのに、
倒して放置しておいただけで、少し軽くなっているので、
この数週間で水分が抜けて来ているということらしい。

あとは、薪割り。
初めてなので、どうなることやら。
でも、今使っている購入した薪も結構太いままなので、
適当に割れば良い感じかな。

結局は、良く乾燥すれば燃えるんだよ。

地震と吹雪2011/03/09

今日の仙台は踏んだり蹴ったりだった。
昼には大きな地震、午後からは吹雪。

しかも、余震は結構続いて、将来発生すると言われていた宮城県沖地震だったりしてとか、
NZ地震のようなことにはならないだろうかとかいろいろ考えた。

チビたちに聞いたら、やっぱり机の下にもぐって避難したらしい。
余震も合わせると3回くらいらしい。

仕事中だったけど、家族は心配だわ、新築の家は心配だわ、もっとでかいのが来たらとか、
なんかか落ち着かない午後でした。

でも、暫く余震が続くらしいので、懐中電灯とかをベッドサイドに準備しておこうと思った。
備えあれば憂いなし。あるけど。

鳥の餌台2011/03/10

数日前に、庭側にあるフェンス(県の所有物だけど)に鳥の餌台を設置。
餌台と言っても、薪棚を作る際に余った角材をただ釘で止めただけ。

数日経過したけど、どうも鳥がつついた形跡がない。
鳥は近くに来たのは見たけど、餌台に乗るところを見ていない。

数日だけじゃ、鳥も気づかないかもしれないけど、野生の生き物であれば、
ハングリーなはずだから速攻で食べにくるのかと思っていた。
それとも、この辺りに居る鳥の好物ではないのか。

もしもそうだったら、先ずは良く飛んでいる鳥がなんなのかを確認しないと。
でも、庭の向こう側が池&林&森になっているので、いろんな鳥がいるはず。

鳥の種類を覚えられるという新たなチャンスを得られた訳だ。
先ずは写真撮って覚えようと思う。

東日本大震災12011/03/11

(3/19。やっと、落ち着いて書き込める状況になったので、発生当日以降の出来事を書き込み)

14時38分、娘が下校途中に公衆電話から電話して来た。
「今日友達と遊んでいい?」
いつもはこんなことないのに、どうしたのだろうと思った。
後から聞いたら、名札にいれていた十円玉を使って、名札に書いてあった電話番号にかけたとのことだが、
家にかけるつもりが間違ったらしい。

「いいよ」と言って電話を切る。

その数分後の14時46分、地震。
”かなり大きい。しかもなかなかおさまらない。”

ビルの10階のオフィスは、立っていられず、机や椅子が波に揺られる小船のようにあらゆる方向に振られらた。

”家族は!?・・・・・娘が!”

ママは家、息子は4年生で授業時間も長いので、まだ学校のはず。
娘は下校途中。

ママに電話しても既につながらず、メール送信。
かろうじて1回やりとり出来て、ママの無事は確認。
娘が下校途中ということをメールしたけど、既にメールも送信エラーに。

会社から、帰宅の指示も出ず、パソコン、書類等でぐちゃぐちゃの床に
非難道をとりあえず作る。

その後、徒歩で帰路につく。
バスは動いているものの既に満員でバス停には長蛇の列で、渋滞のため車もバスも進まない。
信号停止、壁が一部崩落したビル、マンホールから吹き出る水、ところどころのガス臭。
しかも、歩いているうちに吹雪に。

自宅までの道のりの半分位来た時だろうか、ママと娘からメール!
ママ:「みんな無事です。今どこ?」
娘:「いまどこにいるの!?(パンダの絵文字)」

それまで、革靴ですべる中、雪道でもスピードを緩めずに歩いていたが、ほんの少しだけ緩んだ気がする。

家に着くと、中はぐちゃぐちゃ。
電気、ガスはストップするが、水はなんとか出ていた。
先ずはガラス等の危険物を片付けて、最低限のスペースを確保。

とりあえず、ある物を気のみ気のまま食べて、余震に備えて、服のままベッドへ。
子供たちのベッドにパパと娘、ママと息子で就寝。20時頃か。

東日本大震災22011/03/12

(3/19。やっと、落ち着いて書き込める状況になったので、発生当日以降の出来事を書き込み)

震災当日は出ていた水が出なくなった。
冷蔵庫に、若干の水とジュースがあったので、飲料的には問題ないが、トイレの水が流れない。
風呂に水が張ってあるはずだが、風呂場のドアが開かない。

なんとかドアノブを外してドアを開けて、トイレ用の水も確保。

これまで、ママの実家の家族は全員無事が確認済み。
パパの実家の家族は全員と連絡が取れない状況。
しかも弟は津波に襲われた仙台空港近くの職場で、津波に遭遇したというメールを最後に音信不通。

両家の状況確認のついでに、実家においてあるキャンプ用品を取りにいく。
パパの自宅に着くと、グランパとばあちゃんは元気で片付け。
「良かった~。」

ばあちゃん「次男と連絡取れなくて」
パパ「昨日の夜は連絡ついたから、なんとか生きてはいると思う」
ばあちゃん、グランパ「そうかっ!」

既に、携帯はメールも電話も出来ずに、ほぼ圏外の状態が続いていた。

自宅に戻って、近所のヨークベニマルへ家族で買い物。
暫くならんで、パン、水、ジュース、バナナ、お菓子等をゲット。

キャンプ用のコンロ等で調理して、なんとか暖かいスープとかは食べれた。
キャンプをやっていて良かったと本当に思った。

暖房はないので、夕飯は早めに食べてベッドへ。

日の出とともに起きて、日の入りと共に寝る。
本来の人間の生活に戻った感じ。

しかし、辺りに明かりがないので、とんでもなく星が綺麗だった。
教科書等で見る星図が、そのまま目の前に広がっていた。

東日本大震災32011/03/13

(3/19。やっと、落ち着いて書き込める状況になったので、発生当日以降の出来事を書き込み)

ママの実家の家族と共に給水所へ。
あまりの長蛇の列にちょっとびっくり。
パパが小学生のときに発生した宮城県沖地震の時には、自宅近くまで給水車が来て、
毎日水をもらいに行くのが手伝いだったけど、何キロも並ぶなどということは無かった。

知り合いの店で水が出ているということで、急遽そっちへ向かって給水。
地域によっては水が出ているところもあったが、いつ止まるか判らない状況だった。

やはり引き続き弟とは連絡が取れていなかったので、その後パパの実家に状況確認へ。
すると・・・・
グランパ「あ~。昨日の夕方に帰って来た~。車は津波で流されたようで、ヒッチハイクで帰って来たらしい。」

良かった、一安心。
これで家族はみんな無事が確認出来た。

車のガソリンが底をついたので、今夜は給油に並ぶ。
スタンドにはどこも長蛇の列で、タンクローリーによる入荷見込みが無い為、
在庫がなくなって営業停止する店がほとんど。
近所のスタンドは、停電の為にポンプが動作せずに、在庫はあるとのこと。
電気の供給が再開されることを望みつつ、夕食後に車で列に並ぶ。

余震も続いていたので、パパが家にいないのも不安ということで、
家族で並ぶが、当然エンジンはかけられずに暖房なし状態。
朝方は氷点下になるため、ワンボックスの後ろの席を全て倒して、
フラットにして、寝袋と掛け布団を持ち込み、窓にはダンボールやタオルを貼って冷気よけ。
パパはひたすら厚着をして、運転席で耐える!

パパは極寒。でもみんなは寒くなかったらしい。

東日本大震災42011/03/14

(3/19。やっと、落ち着いて書き込める状況になったので、発生当日以降の出来事を書き込み)

給油の為に並んだのに、朝になったら「本日は営業しません」。

朝の時点で電気が通っていないのと、もしも電気が通ってもすぐに営業は出来ない見込みらしい。
通電しても、一気に大量の電流が流れると、スタンドの制御装置がいかれてしまう可能性があるとのこと。
実際のほかのスタンドで起きている為、通電後も確認作業を行ってから営業するが、時期は未定とのこと。

結局、ただの車中泊になちゃった。
チビたちは非日常の体験だったので、楽しかったようだが、パパは寒さで疲れた・・・・。
ほとんど寝てないし。

そんな中、自宅に帰ってから、ママが「ちょっと工務店さんに行って、家の修理に関して置手紙してくる。」と子供の自転車で外出。
その後「やまやが営業してて、水が買えるから、これないか?」とのメール。
家に子供たちを残して行く訳にもいかず、ここは息子に託すことにした。

息子の自転車はママが乗っていったので、娘の自転車でママの待つやまやへ。

・壁の近くは通らないように
・揺れを感じたらすぐに広いところに逃げて
・信号が動いていないから渡るときはいつも以上に気を付けて
・あそこの道は危ないから、こっちのコースを行って
等々・・・・。

ドキドキしながら送り出した結果・・・無事合流。

「良くやった!」ってメールしたら「サンキュー!」って返ってきた。
今回の地震で一回りも二回りも大きく、強くなった気がする。