研ぎ澄まされた神経へのインディアンの言葉 ― 2019/02/02
朝方は空腹で目が覚めるが、布団の外の寒さになかなかベッドから出れず。
さくの部活があるので、観念してベッドから出る。
今日の朝飯は、昨日のシチュー。
しかし、俺の朝飯は断食後の回復食ということで、サラダと酵素ドリンク。
しかもサラダは、口の中で青汁になるまで良く噛んで胃の負担を減らす。
ほんの少しのドレッシングをかけただけの単なる野菜なのに感動する。
食べるということがこんなに嬉しく、感動するものということをあらためて思う。
朝起きた時は雪が降っていたので、さくを送っていくことになったが、
ちょうどジャスの散歩に行ける程度の余裕があったので、
まだ神経が研ぎ澄まされた状態でまだ冷たい空気の外へ。
隣の池の水と雪のコントラストも、いつもよりもくっきり見える気がする。
さくを部活に送っていった帰りに、もう少しお腹に何かを入れたくて、
コンビニで物色した結果、野菜もバランスが大事よねと思い、
グリーンスムージーなるものを買ってみた。
やばい、思いがけずにハマった。
今後、出張とかで栄養のバランスが崩れそうな時はこりゃ必須になるかも。
野菜と言えど腹に食べ物を入れれば、どんどん動きたくなってきた。
和室の整理、来週の出張の準備、薪ストーブの灰の始末。
そして、時々昨日借りた本を読む。
昨日の夜は空腹を紛らわす為に早々にベッドに入って読書。
そこで、早速刺さる話が次々と出てきた。
今のところ一番刺さった一節。
「本来の自分とは無縁のフィクションの世界で、
自分とはかけ離れた自分になろうとするから、
人は道に迷い、心身の健全な調和とバランスを崩し、
強欲が幅をきかす醜い社会になってしまう。」
人は道に迷い、心身の健全な調和とバランスを崩し、
強欲が幅をきかす醜い社会になってしまう。」
空腹で神経が研ぎ澄まされた状態だったこともあったのかもしれないが、
なんか気持ちの中の何かにヒビが入ったというか、これまでの虚構に
見て見ぬふりをしていた自分を指差されたようだった。
高みを目指すということではなく、周りの目、社会通念、成功者に
いかに合わせるか、いかに近づくかということを目標としてしまっている。
自分は自分なのだから、周りの目を気にするよりも、現在の風潮に乗るよりも、
富と名声を得た人に近づくよりも、もっとやるべきことがあるはず。
家族や仲間が多くなればなるほど、自分らしさを押し通すことは難しい。
但し、自分が思う自分を忘れず、いざという時に自分らしい選択ができれば
それでも良いのかもしれない。
こういうことを考えるだけでも大事なことだ。
いい本を借りれた。まだまだ1/3も読んでないので、
この先もドキッと、グサッとさせられること間違いない。
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