いろいろあって久々の更新2018/03/04

いろいろあって、一週間以上空けてのブログ更新。
もう毎日がバタバタで、毎日早く寝る、もしくは仕事持ち帰りで、
仕事後にそのままベッドへ・・、という日々が続いた。
でも、記録として残すべく、思いだしてのブログ更新。

2/24(土)は、もらって来た薪のうち、割らないといけないやつを片付けたり。
これで筋肉痛はレベル2.

3/25(日)は仕事。
3/26(月)は立ち合いでデータセンターに籠る。

そして2月末と3月の始めの2/28、3/1は、余裕はなずの案件をこなすべく
現地に向かったものの、ちょっと早く着いたので、近くのベローチェで
カフェモカを飲みながらの事前調査。
この案件は身体も使わず、直ぐに解決できるはずの問題。
とにかく仕事が進む・・・。
どんだけ会社にいることが非効率なのか、もしくは自分が会社に居ないことが
自分のためになるのか・・・。

いやいや、確かにこういう、誰の監視もプレッシャーもない状態だと、
やる気があればどんどん仕事が進むもので、それが上手くいかない場合は
身体的、精神的には個人を含めて、疲れを取る必要がある。。

3/1(月)比較的早くは上がれたものの、この充実感の無さが半端ない・・・。
一日のうち半分か確実に意味のない時間。
モヤモヤを我慢できずに、さくの塾のお迎えの途中で「やまや」に寄って
ヤケ酒を兼ねた酒を購入。

スコッチは「INVER HOUSE」。
バーボンは「Ancient Age」。

結果、どちらも可・不可で言うと「可」。
つまりコスパ的にはクリア。
でも、スコッチは「INVER HOUSE」だったら、「バランタインフィネスト」
の方が断然に味も、コスパも良いかな。

3/2は強風でJRがほぼ機能せず。
そんな中で秋田出張のはずが、なんとか盛岡まで来てということで、
予約した新幹線ではなかったりと、紆余曲折ありながらもなんとか
盛岡にたどり着き、打ち合わせに参加して来年度の仕事ゲットの可能性を高める。

そして、3/3の桃の節句は、一人山へ籠る。
来年の冬の支度、ついでにふきのとう探しへ。
結果、チェーンソーでの伐採は、ツタが絡まり中半端に倒れたままになったり、
ふきのとうにも出会えず、太目の木を2本だけ切ったところで、さくを塾に
送って行くためのデッドラインに達したので、またモヤモヤしたまま撤収。
しかし、二本は綺麗に伐採できたし、倒した木に座ってカップヌードルを食うという、
なんとも「Back To Nature」的な時間を過ごせた。

が、しかしこれで筋肉痛レベルが4へ。
ツタが絡まったのを解消しようとして、ロープを投げたり、
全身、腕でロープを引っ張ったり、とにかく非日常的な動きを繰り返した為。
それと、欲張って太い木を倒したというのもある。

桃の節句の最後は、塾から帰って来て遅い夕食を食べるさくの依頼で
社会科の問題を読み上げる手伝い。
こんなに出来るの?!と言うくらい、昔とは雲泥の差で正解を続けるさくに、
「ごめん、なめてました・・」と心の中で謝りました。
と、その感動の反面、筋肉痛のだるさと眠さの中で、
なんとか問題集読み上げのノルマのページ数をこなした後は、
ベッドへ倒れ込むように就寝。

そして今日の3/4(日)は仕事。
こんな天気、気温も最高な日に建物に籠って何をやってるんだという気持ちに。
データセンターのように窓がない方がよっぽど残念感が少ない。

こんな頑張った日は、発泡酒じゃなくてビールが飲みたいということで、
近所のヨークに行って、コロナとスーパードライの瓶を購入。
まだギリで空が青い時間にコロナで一服。

この程度でもリフレッシュは大事。
めずらしく、いろんな意味でのストレスが溜まってきているらしい。
今更ストレス耐性は強められないと思うので、いかに変な案件を避け、
かつ断るかという点に注力したほうがいいかもしれない。

いろいろあるってことは、ある程度追い込まれて決断をしてるということ。
その分だけでも日々成長してるという、相対的な感覚を感じつつ生きて行くか。
生きとし生けるもの、そりゃみんないろいろあるはず。
自分だけが特別じゃないので、自分なりに頑張ることが大事ということなのだと思う。

さて、明日はどんな「乗り越えた充実感」に出会えるか!
いつでも前を向いて。

祝 中学卒業2018/03/10

かずの中学卒業から早2年。
2016/3/12のブログでは、
「小学校の卒業式では、涙腺が壊れたけど、さすがに中学校だと、
 本人達もあっさりしてるだろうから、涙腺は平常運転と思ってた。
 が、式が始まる前からもう崩壊の危機。」
と綴っていたが、今回は
「中学の卒業式も2回目だし、涙腺への刺激もそれほどではないか。」
と思っていたものの、結果はまったく同じ。

式が始まる前から、受付で貰った封筒に納められていた本人から両親にあてた
手紙を読んで、まだ式開始の20分前で来賓も入場していない時間、
まだ父兄席も私語で溢れているなかで、既に涙が溢れそうになる始末。

休眠状態になっていた部活を、入学と同時に同級生と再活動させ
右も左も判らないまま突き進んできた勇気と度胸を見せてくれた3年間。

友達とうまくいかずに悩んだり、友達を助けるために奔走したり、
思春期特有のイライラ感を乗り越える姿を見て来た3年間。

我が子は毎日見ているので、その成長を感じるタイミングというのは
それほど多くはない。
というか、毎日見てるのでそれほど変わっていないように見える。

それが、幼稚園や小学校から見て来た周りの友達の背丈、顔つき、
雰囲気の変わり様が、それほどの月日が経ったんだと感じさせてくれた途端に、
さくのこれまでの月日も長かったこと、思い起こせばいろいろなことがあったという
記憶、思い出が蘇る。
それだけで涙が・・・。

式が終わり、校舎を出たところで友達や後輩と言葉を交わして、
涙を流している姿を見ると、微笑ましい気持ちの反面、
一緒に写真を撮ってくれるような雰囲気もなく、ちょっと寂しい気持ちも。

何はともあれ、卒業という節目を迎えて、親も子も次のステージへ進むという
タイミングでもある。
思い通りに行かないことも増えてくるというのは、自分が親に対して感じ、
親も自分に感じていたであろうことのはずで、つまりは誰もが通る道を
自分も子供たちも通っているということ。

悲しむべきではなく、喜ぶべきことなのだとは思うが・・・・。
なんかこう寂しいというか、なんというか。

が、そんな感情とは関係なく、日々成長、変化をしているという事実は
受け入れざるを得ないこと。
時の流れに身を任せるというのは、こういうことを言うのかもしれない。

春も近づきつつある天気の良い日。
日向ぼっこしながら春を感じて昼寝するのも、時の流れに身を任せた結果。
身を任せるとうのは案外簡単なことなのかも。

焦らず、悲観せず、その時その時に感じられる恵みに感謝しつつ過ごす。
そう言う生き方を出来るようにしたいし、そう出来るようにしてあげたい。
俺も歳をとった、そして子供たちは無事に成長した。
まずはその恵みに感謝。

7年前2018/03/11

朝から気持ちよく晴れた今日。
7年前は普通に平日。
子供たちは学校。
安否の確認ができないもどかしさを痛感させられた日。

学校、下校中に怖い思いをした子供たちもすっかり大きくなった。
一人で下校中に、突然の揺れと目の前のマンホールから勢いよく吹き出す水を見て、
相当怖い思いをしたさくも、昨日無事に中学を卒業。
かずも朝から部活の練習試合に出発。
普通の毎日が本当に有り難い。

でも、今日は毎日を有り難く思う日であるとともに、悲劇を思い出す日でもある。
一瞬のうちに自らの命を、家族をさらわれた人々にとっては辛い日。
幸い我々の親族には被害はなかったものの、海沿いの見慣れた景色でさえ一変。

船のあるはずのないところに巨大な船。
家があったであろう場所はまるで基礎工事が終わったばかりの地域と化し、
家があるはずのないところに家の二階部分だけがぽつんと佇んでいる。
それまでの常識ではあるはずのない景色ばかり。

もう7年かと思うけど、まだ7年だ。
でもその7年で、あの悲惨な景色、状況の記憶も薄れてきている。
災害時用の水、避難道具は揃えているとはいうものの、車のガソリンを
切らさないようにしたり、進学等によって環境が変わったのに、
緊急時の集合場所を決めていなかったり・・・。

3.11は有り難さを感じ、哀悼を意を表し、気を引き締める日。
2:46にはNHKの追悼式の合図とともに黙祷。

庭では、暖かい日差しに誘われて昨日までは咲いていなかった
クロッカスの花が開いてた。
7年前の今日は、たとえクロッカスが咲いていても気付かなかったかもしれない。
今日に合わせて花を咲かせたのであれば、何か運命的なものを感じる。

でも、夕方にパラパラと降り出した雨が、7年前の夕方に降り出した雪と重なる。
意外と酷な状況。
でも、それはそれで記憶を風化させない、記憶を焼き直すにはいいのかもしれない。
決して忘れてはいけない出来事だから。

俺の日記に6万アクセス2018/03/13

計算してみると、どうやら3/10にこのブログのアクセス数が6万をこえたらしい。
震災の直前に初めてから約7年。
特に何かの領域に特化している訳でもなく、誰の役にも立たないような
平凡な日々の出来事、思ったことをとりとめもなく書いただけの、
他人から見ると「へー。」「ふーん。」で終わる内容。

にも関わらず、コメントを書き込んでくれる人もいるし、
Facebookにコメントをくれる人もいる。

そもそもは、これまで何度も日記をつけてはやめて、つけては諦めて、
自分の歩み、感じたことをどこにも、誰にも残せないということに対して、
パソコンを触ることが多いという点で、日記帳よりも触れる機会が多いので、
続くんじゃないかと、ふと思ったことからブログを開始。

今日時点で60,092アクセス。

後から自分で読み返せるし、万が一俺に何かあった時に、個人情報は残せないけど
どんなことを感じ、どんなことを考え、どんな男、どんな人、どんな親だったのかを
うかがい知るための一つの道具になるかもしれないと思って始めた。
それは、今のところではあるが間違いはなかった。

それと、ブログを始めてから確実に気付いた点。
自分の日常を文章にしてみると、
「なんて平凡な日なの?」
と思う日もあれば、
「平凡そうだけど、これは楽しむべき、喜ぶべき事。」
と気付かされることが、かなり多いことに気づいた。

先日の震災7年目にも思った感覚とちょっと似ていて、毎日は平凡なんかじゃなく、
「有り難い」ということ。
つまりは「”平凡、いつも通り”と言うのは、決して当たりまえじゃない。」。

そして、それをブログに綴るのは
「平凡に思えるかもしれないが、実は奇跡的な一日を生きたということ」
を証明することになる。

酔って誤字脱字があっても、文脈が支離滅裂でも、
つまりはそういう1日だったということが残る。

第一義的には、人に読んでもらいたいということではないことは確実。
但し、読んでもらいたくないのかと言われると、そんなことはない。
日々読まれるとそりゃ気恥ずかしい部分はある。
でも、自分の過ごした日々に、自分自身には意味があったんだということを伝える、
必要かは別として後世に残すという手段にはなる。

後世に伝えても恥ずかしくないような、人として間違っていない、
「生きとし生けるもの」として精一杯生きたと事実を残せれば。

自分の過ごした日々を「凛」としたものとして受け入れらるように過ごさないと。

桜咲く、でも木を倒す2018/03/18

またしても怒涛の一週間。
簡単、しかもリスクもなく、とにかく面倒な仕事を終日やった月曜。
週末から体調がすぐれないママが病院に行ったところ、インフルとの連絡が入る。
そして火曜は、ママの看病と子供たちの世話で休暇を取得。

そして、運命の水曜日。
15時前からそわそわが止まらない。
15時10分、15時20分、15時30分、まだ連絡がこない。
モヤモヤしたまま、お客さんに電話して、気付いたのが15時45分。

直前に確認した13時30分の1分後の13時31分、LINEに「さく合格」の旨の書き込み。
頭の重みを首で支えるのが辛くなるくらいの安堵感に、思わず左の肘を立て、
左手を額に当て、下を向き目を閉じる。
そしてため息というか安堵からくる深呼吸で気持ちを落ち着けた。

ちょっとまずいくらいの成績だったのが、年末から塾に通い始め、
これまでの勉強時間とのギャップに「大丈夫かな」と不安を感じた。
それでも、たまに疲労感を口にするものの、部活で培った根性というか、
やりきるという精神からか、見事にやりきった。
今までやっていなかったというマイナスポイントをぼかしてくれるくらいの頑張りで、
やっていなかったという事実がうやむやになりつつあったが、それは甘やかしだと
自分に言い聞かせ続けたこの数か月。
やっと一段落。

この日は、ケーキでお祝い。
ここ数ヶ月の頑張りを見ていたので、ちょっとだけ涙腺が緩んだけど、
確実に誰にもばれない程度。

そして木、金もバタバタで、週末もどうなることやらという感じだったものの、
なんとか週末は休めた。

ということで、土曜は木こり。
この日はかずと男二人で山にこもり、大木を倒し、木陰でカップラーメンを食う。
なかなか得難い風景に、小さな喜びを感じる。
それと、細かく指示を出さなくとも、木を倒す時に危険の内容に動き、
木を倒した後は自ら考えて黙々と作業をこなす。
そんな何でもない動きに成長を感じずにはいられない。

1m程度に切った木でも、2人でも持ち上げられないほどの大木を倒し、
本日肩からお尻までの背面全てが悲鳴をあげるほど頑張った。

桜が咲いた今週。
花は咲いていないものの、実際の桜の木も1本倒してしまった。
いつもは気にしないものの、今年はなんとなく罪悪感を感じる薪づくりになった。
それはさておき、とにかくさくの希望がかなって良かった。
桜の木には、パパからしっかり謝罪をしておこうと思います。

ハワイ旅行1日目2018/03/24

さくやの中学卒業と高校入学、誕生日、それと両親の金婚式を兼ねたハワイ旅行。
最初は家族だけで行く予定だったのが、「だったら家も」「なら家も」、
となんと義理家族等も合流することになり、なんと総勢22人・・・。

前日の23日の夜22時からは作業が入っており、失敗すれば翌日の出発に
確実に影響するというプレッシャーを跳ね除け、無事に作業を終えて、
会社携帯の電源をOFF!

この日は、両親、我が家、弟夫婦、そして義母の総勢9名でのハワイ移動。
しかし、俺、ママ、それ以外でそれぞれ別にハワイに移動するという
かなりレアなパターンでの旅立ち。
俺とママは貯まったANAのマイレージで行こうと思っていたものの、
結局キャンセルが出ずに急遽飛行機を手配した結果、他の時間も便も取れず、
別の航空会社に。

子供達は両親と弟夫婦と同じ飛行機なので、みんなに頼めたのは良かった。

そして、初めて一人で乗る国際線に、「なんか大人!」「でもなんか寂しい」
という二つの感情を抱きながらも、現実逃避に成功。

機内食も一人。

隣に座った中学生くらいの男の子に、右の肩を枕として貸しながらハワイに到着。
みんな喜んで入国審査を受ける中、入国審査場のソファーで、
入国審査を受けることなく30分近く佇む不信な日本人男性と化す。
理由は、30分後に到着するメンバーと合流する為。
なかなか面倒な段取りを経て、入国審査等を済ませて、
両親は初ハワイということでハワイ島へそのまま移動。
弟夫婦とそれ以外に分かれて、それぞれのホテルへ移動。

我々の部屋はまだ掃除が終わっていないとのことで、先にホテル近くの
レストランで昼飯を取る。
ロコモコを食べながら、アメリカンサイズというものを思いだし、
注文の時のやりとりで、かたことの英語で過ごさねばならぬことも思いだし、
それとチップ文化の煩わしさを思い出し、観念するにはちょうど良い機会になった。
そして、このハワイでの1食目のロコモコの完食により、
完全に胃がダメージを受けることになった。

ハワイ到着時は結構な雨。
部屋の準備ができるまで、外にでかけるのもおっくだったので、
後から到着したママも合流したあとで、ホテルのラウンジでウトウト。

そしてやっと部屋へ。
家族4人+義母とうことで、3ベッドルーム。
最高。

このころには雨も上がって、明日以降の天気の好転も十分に期待できそうな状況。
ベランダから見える海とラグーン。

なんとかギリギリ見えるダイヤモンドヘッド。

雨の影響か、ちょっとジメジメした空気の中をホテルの周辺を散策。

近くの堤防では釣りをする夫婦。
奥さんの方に結構な引きのある魚がかかって、どんな魚があがるのか期待したものの、
なんと直前にばらしてしまって、なんとなく熱帯魚が上がってくる画を期待したが、
残念ながらお預けとなる。

そして、到着の夜。
弟夫婦も合流してスーパーで買い物をして、部屋でさくやの誕生日パーティー。
春休みのこの時期は意外と旅行と重なることが多く、さくは何回目かの
海外での誕生日。

我が家的にはバラバラで移動するも、無事にハワイで合流できた。
かずには、さくやと義母のまとめ役、パスポートやチケットの管理役、
そして先導役をお願いしていたので、その意味ではちょっとは良い経験になったかも。

夕焼けを見て、明日以降の天気の好転を強く感じた初日でした。

ハワイ旅行2日目2018/03/25

前日の雨が嘘のように晴れわたった2日目。
空と海は青い。

ダイヤモンドヘッドも太陽の光に照らされている。

せっかくのハワイというのに、全く起きる気配のない人々は放っておいて、
一人ブラブラと散策に出かけた。
まぁ、昨日までの移動の疲れもあっただろうから、そこは強くは言えないのもあり。
という自分も、ジョギングをするつもりだったが、やはり意外と疲れもあったので、
この日は暑さになれる意味のウォーキングという感じで。

近所の公園。
まだ寒い仙台で見る公園とは、芝生や木々の色からして違うので、
前々日まで見ていた公園の風景とのギャップに感動。

歩道には自転車を停めるための自転車の形の鉄製の駐輪場。

久々に観た感じのする、昔の「FMステーション」のイラストになりそうな画。

ホテル脇に保管されているサーフボード。

海岸でくつろぐ人々。

と思えば、戦車が並ぶ博物館。

なんか飾り気がなくて良い。

そしてちょっと遅めの朝食は、ホテルの近くのGoofyへ。

エッグベネディクトを注文。
美味かった~。
しかし、前日のロコモコで胃をやられていたので、エッグベネディクトは
完食できたものの、タロイモは完食できず・・・。

その後はアラモアナに移動して、ショッピング。

かずと俺はここで水着を購入。
夕方にホテルに帰った後、食事まで時間が無い状況ながら、
早速ワイキキビーチで約1時間ほど海水浴&日光浴。
夕方と言えど、1時間程度でも肌がヒリヒリするほど。
さくには「入学式に目立つからあんまり焼かないで」と言われていたのでほどほどに。

しかし、ここら辺から、写真の撮り忘れが増えた。
例に漏れず、ロイヤルハワイアンセンターでの夕食も写真を撮り忘れ。

朝のウォーキング、ショッピング、海水浴とこの日は比較的動いた2日目。

ハワイ旅行3日目2018/03/26

ハワイで迎えた2回目の朝。
ここでようやくハワイでの初ジョギング。
アラモアナ方面からワイキキ中心部へ向かい、約1時間たっぷりと汗をかいて、
日本の寒さで閉じていた毛穴を完全に開く。

途中、なんとも不思議な像があったので、とりえず写真に収めた。
それ以外は、景色を眼で追うので精いっぱいで、ここでも写真は控えめ。

部屋で朝食を済ませた後、ワイキキ中心部へ移動。
女性陣は化粧やらで時間がかかるというので、かずと二人で歩いて向かい、
せっかくなのでベタではあるが、恐らく二十年近く前に一度だけ見た、
デュークカハナモク像を見に行く。

かずも数年前のフレンドのホームステイの際に見に来たらしい。

この日はロイヤルハワイアンセンターでのショッピング。
物欲がないので、ショッピングにはあまり興味はないものの、
ハワイに来ていろいろ見て周っている家族を見ているだけでも、
上手く表現できないけど、「良い時間だなー」と思う。

そして、ショッピングが終わってホテルに戻ってから、また小一時間ほど海へ。
さくの「焼くなよ」という目線を気にして短時間ビーチ旅行。

この日の夕食は「ルースズクリス」でステーキ。

塊肉を2つ注文してシェア。

こちらは骨付き。

年配の義母を含むとは言え、食べ盛りの高校生を含む総勢5人。
あっさり完食かと思いきや・・・・。
残ったのでお持ち帰りになるほど。
ちょっと脂が多すぎたのかもしれない。

しかし、完全に満腹で戦意喪失状態のところへ。
「Happy Birthday!」の掛け声とともに、2つの皿が運ばれて来た。
一つにはイチゴとチョコ、もう一つには15歳の誕生日を祝う言葉。
しかも両方に着火して青い炎に包まれる。

いやー、エンターテインメント!
2日過ぎてはいるんだけど、誕生日ですと誰かが言ったわけで・・・・ママだけど。
さくやも「サンキュー」と言うしかないもんね。

部屋に帰ってくると、かずは春休みの宿題をやつけてた。
昼間に時間のある時は、身体がなまらないようにホテルのジムに行ったりと、
勉強、部活とちゃんと考えてんだなーと。
見直した・・・。

ハワイ旅行4日目2018/03/27

初日以外は、毎日毎日天気が良くて嬉しい悲鳴。
この日はママとかずも初めて海、と言ってもラグーンデビューするということで同行。

途中、ホテルのチャペルで結婚式を挙げたのか、ウエディングドレス姿で
ビーチで写真撮影をする新婚さん。
青空に白のドレスが映えるし、もう少し若いころは、「おー、良いねー。」
という感じだったのが、この歳になるととにかくとにかく微笑みが湧いて来て
「お幸せに!」という、ちょっと感情も変わってきた。

かずまくんもラグーンへ。
が、この後腰まで入ったところで、すんなりと帰って来た。
「いや、水冷たくてさー。」
17歳男子高校生、頼むよちょっと。
それでも、確かに海よりも断然冷たい。

そして、この日の午後は後発帯が合流。
昼飯を一緒に食べて、昼飯からロコビールをやる。

夜は両親、弟夫婦、義弟家族で部屋で食事。
スーパーで買ってきた食材、総菜で思い思いに食べて、飲んで、話して。
外食も良いけど、部屋でゆっくりと夜景を見ながらのひと時もいい思い出に。

ハワイ旅行5日目2018/03/28

前日までに赤ん坊も入れた総勢22人がハワイ入り。
ということで、全員揃った初日は、有志9人で「ロイヤルクニオCC」でラウンド。
ゴルフをやらないばーちゃんはライダーで、カートの運転手として参加。

芝生の緑と空の青がもうなんとも言えない。
ここを歩くだけでもいいのに、白い球が青空を飛んでいくという爽快感も。

考えてみると、前回クラブを握ったのもハワイだった。
つまり2年ぶりのラウンド。
もうハワイでしかゴルフ出来ないかも。

直前練習もせずに、臨んだラウンド。
結果は・・・103。上出来。
両親とも、恐らく初めてにして最後となるだろうラウンドも出来た。
いい思い出になったものの、約30年ぶりにやった父親とそれほどスコアが
変わらないという、なんとも微妙な結果にもなった。

ハワイのゴルフはスルーなので昼過ぎにはホテルに戻ったので、
かずとさくと一緒に、巨大ハンバーガーを食べに「テディ―ズ ビガーバーガー」へ。
写真を撮り忘れた上に、店の名前も入っていない部分を撮るという失態・・・。
ゴルフで疲れていたらしい・・・。
バーガー二つを頼んで4人でシェアして丁度。さすがアメリカンサイズ。

そして夜は、両親の結婚式、さくやの誕生日のお祝いの食事会。
カイマーケットで総勢22名で、まったく収拾のつかない食事会の開始。
でも、飲んで、食って、話してとみんないい思い出になったはず。

死ぬ前に一度はハワイという夢もかなった両親。
これで気を抜いて身体を壊さないようにしてもらわないと。
逆に、これではまって、またハワイ行きたいと言うくらいになって欲しいもんだ。
そうなれば、我々もまたハワイに行く理由が見つかるってもん。